2012年7月27日金曜日

ホイアン旅行②(ミーソン遺跡と街)


滞在から2週間以上が経過してしまい、既に記憶が薄れかかっているがせこせこと更新。

ホイアン2日目はミーソン遺跡ツアーに参加した。
朝8時ぐらいに集合、バスで遺跡まで移動し観光、その後ボートで街まで戻るのだが、ボート上で昼食が出る、約半日強のツアー。たしか数百円くらいだった気がする。

ミーソン遺跡とは、2世紀から〜17世紀の長きにわたりべトナム中部から南部を支配していたチャンパ王朝の聖地として栄えた街の遺跡群。因みにこのチャンパ王朝の後にベトナム全土を支配したのが阮朝、先日まで訪れていたフエを首都として構えていた王朝である。少し歴史がつながった。

このミーソン遺跡も世界遺産で、これでべトナム7つの世界遺産のうち4つに訪れたことになる。
実は先日までベトナムの世界遺産は6つだと思っていたのだが、昨年1つ追加されていたようで現在は7つ。まだ行っていない3つは全て北部に位置するので、訪れるのはしばらく先になる予定。つまり手近に行ける世界遺産は全て行き尽くしてしまったことになる。ホーチミンのある南部には世界遺産は未だ無い。ベトナムの中でも南部は発展が遅れていた地域らしく、文化や言葉の違いにもそれを感じる部分がある。北部南部の話はまた別途投稿予定(いつになることやら・・・)。

ミーソン遺跡の見所は、なんと言ってもその美しい遺跡群!・・・と言いたいところだが、なんとここでも登場ベトナム戦争。北部の解放軍がこの遺跡をアジトに使っていたらしく、アメリカからの集中攻撃を受けた為にほとんどの建物が被害を受け、当時のままの形を残す建物はほとんど無かった。





なんと数年前まで、戦争当時埋め込まれた地雷や不発弾がこの敷地内で見つかっていたらしく、現在もその地雷の爆発後のクレーターが形を残している。本当かどうかは知らないが、まだ未確認の部分もあるので歩道として整地された道からはあまり外れて歩かないように、というちょっとびっくるするような説明がガイドからあった・・・(恐)
草に覆われてちょっと分かりづらいが、クレーターの跡、直径約10mほどのサイズ。


どこに行っても戦争の話が欠かさない、べトナム戦争の影響の大きさを物語っている。

ミーソン遺跡の何がすごいかというと、建築の技術力。接着剤を使わずにレンガをすり合わせて建てられており、被害を回避した部分はその姿をそのまま残している。

こっちが当時作られた壁で、
こっちが最近作られた壁。
ってか今の技術、レベル低過ぎだろ。。。

遺跡では、日本を含む世界中から修復援助がされており、至る所で結構大規模に作業が行われていた。 

各国の援助によって博物館も作られたとのことだが、驚くほど簡易。

フエの王朝もそうだったが、ここミーソンは世界遺産として登録されているだけあってその文化的な価値は大変高いのだろうが、一観光客にとって見ただけでは心に深く残るような美しい光景はあまり期待されない方がいいだろう。各所で行われている修復作業がもう少し進めば大きな見所になるかもしれない、経済と同じく観光地としても発展途上な印象。

帰りのボートで出た昼飯を紹介。
コムタムという、日本で言う定食みたいな位置づけの食事が提供された。
べトナム人はみんなフォーばっかり食べてると思われがちだが、麺類と同じかそれ以上にここベトナムでは米が主食である。
こんな感じ。
多めのご飯に、普通は肉や魚の焼いたやつが乗ってくること多いので、この野菜だらけのコムタムはおそらく街中で食べると50円弱くらい。相当物足りなかったが、まぁ安いツアーなので仕方が無い。
遺跡からホイアンに戻るボートの前で。


ホイアンに戻ってからは、前日昼間に見れなかった名所を散策。名所と言ってもそんな見所があるわけではないが、ここホイアンは前述した通り日本人街があったところで、その影を残す観光地を2カ所紹介。

日本橋(来遠橋)。当時の日本人が建設したと言われており、ちょっとした用水路のような川を渡るだけだが、大げさなくらい頑丈な作り。

中にはお寺もある。

 
 夜はライトアップされてかなりきれい。

それからもう一つ、この街で商売していた日本人の墓。
中心地からはバイクで15分くらい、こんな田んぼ道を行くと
 田んぼのど真ん中に発見。

江戸幕府の鎖国政策の始まりのタイミングで日本人街は終焉したのだが、その後ベトナム人の恋人に会う為に日本からわざわざ来て、この地で生涯を終えた人を讃えてつくられたらしい。

あとは写真だけ。 
ホイアン市場、建物は新しい。
 中もけっこうきれい。午後だったので人はまばら。

ホイアンの見所、当時成功した中国人の商人が建てた立派な家たち。中には人が住んでいるところもあるようだ。



突然の豪雨のため、カフェで雨宿り。古い建物を改築したらしく、中はかなりオシャレなつくり。


すぐに雨がやみ観光再会。
名物のランタン屋も至る所で遭遇。


前回の投稿で紹介した、カオラウやホワイトローズは全てこの井戸水でつくられている、らしい。

 中を見ると・・・
ちょっと心配になる。。

翌日、ホイアン最終日は昼にダナン向けのバスに乗るまで午前中のみ滞在。
最後は中心地からバイクで15分くらいいったところにある、クワダイビーチへ!!!
 ベトナム来て初めての海、むっちゃきれい!ありえないくらいいきなりリゾート!!



水着も持ってなかったし一人だったので海辺でボーっとしただけだが、ベトナムに来てから2ヶ月弱、これまでの生活からは全く想像もつかないような、きれいな海、ビーチ、とてもベトナムとは思えない観光地化、リゾート化された光景に素直に驚いた。


以上がホイアン観光。

そして最後にむちゃくちゃ感動したことを一つ。
それはこのホイアンでは、街の中心地全域をカバーする「HoianMegaWIFI」という無線LANを無料で、屋内屋外どこでも利用することができる。登録無し、パスワード無しなので到着した瞬間から利用可能。
後から調べてみたら、フエやハロン(有名なハロン湾のあるところ)でも同様のサービスが提供されているらしく、ダナンでもその予定があるとのこと。
街全体を無線LANで覆ってしまうなんて、なんて先進的なサービスだろう。電波はそこまで良くはないが、普通に道を歩きながら無線LANが使えるのは、3Gのパケット定額のある生活に慣れた今時の観光客には大変ありがたい。


ここホイアンは、町並みがきれい、お店もたくさんあっておもしろい、夜は祭りみたいで楽しく、飯がむちゃくちゃうまい、美しいビーチ、そして無料の公衆無線LAN。
街は割と小さく徒歩でも行動は可能だが、バイクや自転車のレンタルサービスも街の至る所で利用でき大変便利。

元々の美しい町並みという観光資産を十分に活かしつつ、観光客に便利なサービスの提供、街づくりが非常に戦略的に行われている印象で、見所として大変ポイントが高かった(というか今回の旅行で断トツ)。
もはやベトナムとは思えないくらい観光地化されている為、生のベトナムに触れる、という観点からは少し離れてしまうと思うが(そもそも生のベトナムって何だ、って話もあるが)、観光地としての見所の少ないベトナムにとっては非常に貴重な場所だと思われる。

昼からバスでダナンに移動。中部旅行も大詰め。たぶんあと1投稿。

2012年7月15日日曜日

ホイアン旅行①


べトナム中部個人旅行4日目、フエからホイアンまでの移動は1日2便直行バスが出ており、片道4時間弱、4USD。
バスは割ときれいで、冷房も効いており快適。電車でも移動できるらしいが、もっと高くて時間がかかるんだって。

ホイアンに到着するも、、、まずここどこ・・・?(あ、写真撮ればよかった・・・)

一応バスの停留所だったらしいが、それらしい雰囲気はなく普通の道ばたのようなところで下ろされてしまう。かといって運転手がどこだか説明してくれる訳でもなく、聞いてもそこの住所を言われるだけで、それがどこだか聞いてるんだっつーの。
ベトナム語を全く話せない他の旅行客は途方に暮れ始めていたころ、すぐにどこからともなくバイクタクシーの客引きがポツポツと現れ、旅行客はみなそれぞれバイクに乗せられ散り散りに・・・ホイアンほど有名な街でもこんな感じなのか。。
一応ホイアンにもホテルが密集している地帯があるので、まずは自分もそこまで連れて行ってもらうことにした。とりあえず今がどこにいるかもわからないのに値段の交渉どうすっかなーと思っていたら、20.000VND(80円)と割と良心的なプライス。実際に走った距離もそこそこで、もしかしたらベトナム語が多少話せるのが効いているのかもしれない、なんて(笑)

行ってみたら割と中級クラスのホテルが多かったのだが、1泊12USDエアコンホットシャワー付きシングルをたまたま見つけて即決。今回の旅行はドミトリーに泊まる元気が出ず全てシングルに滞在したのだが、ホテルは概して当たりが多かった。

翌日のミーソン遺跡ツアーを近くの旅行会社で申し込んで、さっそく街を散策。
時間は既に夕方に差し掛かっていたので、有名な観光地は翌日にしてとりあえず街の中心地に行ってみることにした。

さて遅くなったが、ホイアンとは15〜19世紀にかけての中部きっての貿易都市。中国からインド、ヨーロッパへの中継都市として栄え、徳川幕府の鎖国政策が始まるまでは日本人も1,000人くらい住んでいたらしい。当時の建物が多く残っている旧市街には中国や日本の影響を受けたと思われるような建物が多数見受けられた。
街の見所はまさにこの旧市街になるのだが、ここは、まじで超良かった!夜この旧市街を歩いただけで、一発でホイアンのファンになってしまった。
何がいいって、まず街の雰囲気が抜群。(見返してみると写真がちょっと微妙で、抜群な雰囲気が伝わらないのが残念・笑)




中国人が住んでいた家がこの街の見所のようだが、街の雰囲気は日本の京都の古い町並みが残っているところを思い起こさせるような感じで、日本人にはすごく馴染みやすく歴史を感じることができる。因みにこの古い町並みも世界遺産。
この街はランタンが名産らしく、夜になると至る所でランタンが灯され、雰囲気をより一層盛り上げる。まるで千と千尋の神隠しの世界観のよう。

東西に走る川の周りはきれいに整備され、こぎれいなベトナム料理屋が建ち並ぶ。


近くに屋台が出たり川にかかる橋は電飾がともされおもちゃが売られていたり精霊流しの簡易版みたいのができたり。




一画では伝統っぽい音楽を演奏しながら歌が歌われていたり(これがまた沖縄の民謡に似た感じだったり)日本の小さな夏祭りが毎晩開催されているような雰囲気だった。  


雰囲気にとどまらず、ホイアンにある3つの名物料理であるカオラウ(汁無し麺)、ホワイトローズ(エビ餃子みたいな感じ)、揚げワンタンはどれもむちゃくちゃうまい!やっぱり旅行は飯がうまい、ってことがすごく重要(笑)

ホワイトローズ。
揚げワンタン。
カオラウ。

極めつけは至る所で生ビールジョッキが1杯4.000VND(約16円)!!!!

確かに、街は完全に観光地化されているので、そういうのが苦手、という人もいると思う。でもこういう古い町並み、伝統を残して行く為には観光地化して守って行くしかもはや道は無いのだろう、京都も然り。今年の春にクロアチアのドブロブニクという街を訪れたのだが、そこは古い町並みを残す為に、建物の屋根は必ずオレンジ色の瓦でつくることが条例で定められているらしい。(因みにこのドブロブニクも世界遺産)
道を歩く人々の半分以上は旅行客であったり、この旧市街もすごく狭い範囲しかないのでほぼ一瞬で見終わってしまうところではあるのだが、それでもここはべトナムの新しい一面を見せてくれるすごく印象深い場所だった。

翌日のミーソン遺跡ツアーともう少しホイアンの見所を次投稿でアップ予定。

2012年7月14日土曜日

フエ旅行②(フォンニャ洞窟、DMZツアー)


フエ2日目はベトナム6つの世界遺産のうちの一つ、フォンニャ洞窟ツアーに、3日目はDMZと呼ばれる地域への1日ツアーに参加した。

フォンニャ洞窟とはフエから北に210kmのところにある大小300程ある鍾乳洞のうちの一つで、2003年に世界遺産に登録されている。洞窟は2億5千万年前にできたと言われており、世界でも有数の美しい洞窟として評価されているらしい。

ツアーはフエから片道約4時間のバス移動、朝6時に宿を出発し、帰ってきたのは夜の8時前。30USD、昼食込み。
参加者は10人ほどだったが、うち7人がベトナム人、2人がオーストラリア人の老夫婦+筆者という構成。フォンニャ洞窟内の観光客の半数以上はベトナム人だったと思われ、こんなにベトナム人旅行客の観光地も珍しい。現地人にも人気の観光スポットのようだ。そして時期的なものもあると思うが、日本人と思われる人は一人も見かけなかった。

洞窟まではボートで移動、岩山の中を流れる川を進んでいくと、そこがフォンニャ洞窟である。


一番奥まで行くと歩いて見れるスペースがある。中は割と広く見応えがある。

ただこの色とりどりのライトアップは・・・
せっかくの神秘的な雰囲気がもったいない感じ。
ただベトナム人に言わせると、このライトアップがBeautifulらしい。

この洞窟はベトナム戦争時に武器庫として使用されていたらしい。戦争時の被害は見たところなさそうだったが、こんなところにまでベトナム戦争との関連があるようだ。

壮大な洞窟は確かに見応えはある。また潮の満ち引きに寄っては中に入れない為、観光可能な時期が限られるという希少性もポイントが高い。ただフエから片道4時間かけて行くとなるとそれなりに思い切りが必要、時間に余裕がなければ正直お勧めはしない。ベトナムには6つしか世界遺産が無いので、少し余裕があればそれを制覇するつもりで来るのであればおもしろいかもしれない。


翌日はDMZツアーに参加。
DMZとはDeMilitarized Zoneの略で、非武装地帯。ベトナム戦争時に南北が分断されていた17度線に沿った地域のこと。このあたりはベトナム戦争に関する跡地が点在しており、それを巡るツアー。
各所で他の観光客に出くわすことはあまり無かったが、ツアーに参加していた30人ほどのメンバーのうち、アジア人は筆者1名でほとんどが欧米人。欧米人はこういう軍事ものが好きらしい・・・(?)尚、中部で見かける観光客は欧米人が大変目立っていた気がする。ベトナムを訪れる観光客数は、1位中国、2位韓国、3位日本なのだが、地域によって多少傾向があるのかもしれない。
こちらも朝6時にバスで出発し、帰ってきたのは夕方5時過ぎ。180.000VND(約720円)。

個人的には、先日の戦争証跡博物館以来ベトナム戦争フリークだったので大変興味深かったのだが、興味がない人にとってはかなり退屈なツアーであると思われる。あと、ツアーのガイドさんの英語が(発音がうま過ぎて?)とても聞き取りづらく、恥ずかしながら詳しく理解できなかったのが残念。やはり語学は一生勉強だ。

写真を中心に紹介。

まずは当時戦闘機の飛行場として使用されていた場所に。現在は小さい博物館が建てられており、当時使われていた軍事用品や戦車などが展示。


ツアー一番の見所であるビンモックトンネル。こちらは戦闘用につくられた有名なクチトンネルと異なり、人々が生活する為につくられたもので、なんと地下3階建てが手作業でつくられたとのこと。戦闘が激しいときは、中でしばらく生活をしていたらしい。爆撃を避ける為に上空の戦闘機から見えづらい入り口のつくりになっている。

中にはお産をする部屋まであった。


戦争で被害にあった人たちのお墓。

しかし、ほとんどの墓が「Chua Biet Ten(氏名不明)」

ダグロン橋。戦争中に使用されたものは既に建て直され、現在は新しくなっている。

DMZツアーは以上。

フエには結局3泊滞在し、4日目の午後にホイアンに移動した為、4日目の午前中は初日に見れなかったスポットを見に行った。

フエ市場。すぐ隣に大型スーパーが立っていたが、市場はそれなりに活気があるように見えた(写真撮り忘れ、市場周辺の様子です)。

少し話がそれるが、ベトナム政府は建物が老朽化した市場を取り壊し、大型スーパーやコンビニへの転換を図っていく方針との記事を先日見かけた。こうやって近代化が図られていくんだと短絡的に考えていたのだが、大学の先生と話をしたところ、市場では地方の人たちがつくったものを直接売りに来ることができるが、スーパーになってしまうとそれを売る環境がなくなってしまうことになる、とのこと。一時的にはそれらの商品はスーパーが買い手になりうるだろうが、大型スーパーに見られるような合理主義が推し進められることで、行く行くは行き場がなくなっていくであろうことは十分に考えられる。
少し観点は違うが、日本でも大型スーパーや百貨店ができることで元々あった個人商店街がシャッター通りになってしまった、という事例は散見されており、まさに個人商店を営む義父を持つ身としては複雑な心境でもある。近代化、合理化は進められて然るべきとは思うが、影では経済発展の負の影響を受けている人がいることを忘れてはならない。良い仕事とは、ってやつですかね。

さて、市場のすぐ裏でみかけたちょっとおもしろい美容院街の写真。
わかりづらいが、美容院が約30件ほどほぼ同じような店構えで並んでいる。



ツアーのバスからも、日用品街と呼ぶのだろうか、洗剤やシャンプーなどが全く同じディスプレイで7,8件並んでいる店を見かけたことがある。日本では考えられないような光景だ。
因みにこちらがツアーで立ち寄った観光地の入り口付近。
ジュースを売る屋台が等間隔に7,8件並んでいた。。。これを見るだけでも改善、発展の余地が大いにあることが伺えてしまう。。。

最後にフエで食べた食事に就いて、フエはシジミが良くとれるらしく、シジミを使った料理でも有名である。
コムヘンと言うしじみご飯は、ご飯にたっぷりの香草としじみ汁をかけて食べるもので、すごくくせがあったがやみつきになりそうな味。しかも値段が6.000VND(約24円)



またバインカインというこちらも米粉でつくられた太麺の食べ物も、スープの味付けはシジミでさっぱりとしたうどんのような感じ。たしか60円くらい。

もう一つ、フエには恵まれない子供の自立をサポートする日本の援助団体が経営する「子供の家」というお店がある。
ここでは恵まれないベトナム人の子供自身が日本料理をつくり提供、配膳し、その売り上げが彼らの生活費になる。ベトナムに来てから一人で日本食を食べに行ったことは無いのだが、最近少しボランティアに興味を持ち始めており立ち寄ってみることにした。接客は完全に日本語で、これまでに会ったどのベトナム人の日本語よりも確りとした発音、ベトナムとは思えないような丁寧な接客にかなり驚いた。味も本格的で、なにより壁一面に東日本大震災で被災した人たちへのメッセージが書かれている模造紙が貼られており、こういうところからも支援の声が送られているんだなぁと食事を取りながら色々と考えさせられた。

以上がフエの4日間。たった4日間で超私見ではあるがフエの総括をすると、ホーチミン、ハノイを除いた観光地として最も知名度が高いであろうこの街は、正直見るところはかなり限られており、それなりに期待していただけにフエという街だけを見るとちょっと裏切られた印象だ。
フエは車も少なく、バイクや自転車が街中の主要な交通手段である。バイクタクシーも少なく観光客の移動手段の一部は未だにホーチミンでは見かけることが少なくなったシクロ(三輪自転車の前方に椅子が付いているやつ)であったり、また高い建物もほとんどない。ベトナムの近代化がまだ進んでいないこの街が、訪れた当初は非常に新鮮に感じたが、観光地としてある雑貨屋やアオザイ、お土産物屋はどれもホーチミンにあるようなものばかりであった為、あまり変わり映えしない印象を持ってしまったのかもしれない。
逆に、ホーチミンのようなある程度近代化されているところではなく、もっと「べトナムっぽい」ところという意味では雰囲気は十分味わえると思う。また中部各所への交通も充実しており空港からも近い、観光客が多数滞在する安宿街みたいなものも密集しているため、中部旅行の拠点としては重宝できそう。



明日は少し南下してホイアンに移動。